【「地方創生国会」】
安倍政権はこの秋の国会を「地方創生国会」と名付け、地方活性化策を盛り込んだ関連法案の成立をめざしている。政府内からも「景気回復の実感が全国に行 き渡っていない」と指摘される中で、政権の人気をつなぎとめるためも、地方の活性化を第一に掲げざるを得ないのである。
本来ならば政権の看板であるアベノミクスが実施されれば、「トリクルダウン効果」によってその成果は、あふれた水がしたたり落ちるように、社会全域に及 ぶはずだった。しかしいつまでたっても「うるおったのは東京だけ、大企業だけ」といわれる状況がいっこうに改善しない。喧伝されたアベノミクスも、中身は 株価の上昇だけが頼りの一時的な景気刺激策に過ぎなかったのであり、周辺部過疎地や低所得者層へのトリクルダウン効果などは幻想にすぎなかった。
このままではアベノミクスへの信頼が傷つくことになり、来春の統一地方選を無事に乗り切ることが出来ない。地方の活性化にこの秋以降の政権の浮沈が大き くかかっているのである。
【増田レポートの衝撃】
地方創生がいったいどんな中身になるのかは、いまだに不鮮明なままだが、そのための材料になりそうなものの一つが、増田寛也元総務大臣が座長を務める日 本創生会議が今年の5月に発表した「ストップ少子化・地方元気戦略」というレポートである。メンバーの顔ぶれからみて、今後政府の地方戦略に、この報告の 基本方針が取り入れられていく可能性が高い。
このレポートは、全国の「消滅する自治体」を予測するものとして、社会に大きな衝撃を与えた。全国の自治体の中で、2013年から2040年にかけて20歳から39歳の若年女性が半減すると推測される896自治体を「消滅する可能性のある自治体」とし、その中でも推計人口が1万人以下となる523自治体 を「消滅する自治体」と名指ししたのである。
発表された雑誌や書籍は飛ぶように売れ、名指しされた自治体は動揺し、各地の地方議会は、このレポートを材料にした少子化と人口減少に関する質問であふ れかえった。このレポートは、全国の深刻化する少子化の実態を可視化させた功績はあったとしても、その内容をつぶさに読んでいくと、現状や対策をミスリー ドさせかねないいくつかの問題点を含んでいる。
【恣意的な基準と評価】
まず、第一に問題なのは、恣意的で作為的な予測の手法である。若年女性が半減するという予測についても、この数年間の人口流出がそのまま27年間続くと 仮定すれば半減する、というものであり、予測というより単なる一つのシミュレーションに過ぎないのではないか。なぜ、人口が1万人以下だと消滅してしまう のかの根拠もはっきりしないし、なぜ27年間で判断するのかの根拠も存在しない。当然ながら同じ前提で50年後で考えれば、現在の四分の一になっているこ とになる。
また、半減するのに27年間もかかるということは、1年にすれば2.6%減少するにすぎない。今から27年前を振り返ればバブル期であり今とは様変わり の世相だ。そのような長期にわたって人口流出がこのような精妙な数字のまま続くというのも非現実的な仮定である。合計特殊出生率が現在の1.43からわず かに動くだけで、この変動は吸収されてしまう。
このような不確かな数値を既定のものとして政策判断の材料にしていけば、さらに事態を悪化させてしまうだろう。
【若年女性人口を取り上げたこと】
なぜ若年女性人口をことさら取り上げたのかも、疑問である。単に若い女性が住んでいれば、自動的に出産するわけでもない。かつて第一次安倍内閣で女性を 「産む機械」と表現して陳謝に追い込まれた厚生労働大臣がいたが、それと同様に女性をモノや手段として扱おうとする発想が潜んでいるのではないか。若年女 性の比率の最も高い都心部において、出生率が最も低いという実態との整合性も取れていない。
少子化を問題にするならば、「収入が確保された安定的な家庭環境の数」のような指標を扱わなければ、政策立案に結びつく材料とはならないはずである。
【「選択と集中」】
レポートの中で際立っているのは、「選択と集中」というキーワードからの発想である。「すべての集落に十分なだけの対策を行う財政的余裕はない」とし て、人口の集積した「地方中核都市」を形成しそこに若者を集めることで、人口流出の「ダム機能」を作り出そうという構想が述べられる。末端の集落は切り捨 てよう、というものだが、それも「東京一極集中に歯止めをかける」ための方策だということになっている。
この構想を説明するために、レポートではピラミッド型の図が描かれている。先端にある山間居住地を集落が支え、それを町村中心部が支え、それを県庁所在 地が支え、それを地方中核都市が支え、全体を三大都市圏、東京圏が支えるというものである。
しかし、社会を支える構造は、中心都市が周辺部を支えているだけではない。周辺もまた都市を支えている。周辺部や山間部で所得の少ない農業が続いている おかげで、都市部の農業資材業者や青果の流通業者が生計を立てることが出来る。ある試算では、農家2軒で1軒の業者を支えてるのが実態だとも言われる。
また坂本誠氏による、雪道の轍(わだち)の例も解りやすい。町村中心部と末端の集落を行き来する車があるとそこに轍が出来る。その一つ手前の集落はその 轍に助けられて行き来することが出来る。そうするとまた別の轍が出来て、もう一つ手前の集落はさらに楽に行き来出来ることになる。雪国に暮らす人ならば身 につまされる例である。
末端の集落を見捨ててしまえば、次の集落が新たな末端となるのであり、このようにして中心部に近い集落の生存条件までもが剥がされていってしまう。目先 の効率だけを見て周辺部を切り捨ててはならないのである。
【市町村合併の顛末】
平成の市町村合併もまた「選択と集中」の下に遂行された。その結果、1999年に全国で3,232あった市町村の数は、2006年には1,820にまで 半減した。それでも合併によって地区の財政基盤が安定することで、過疎化に歯止めがかかったのだろうか。
前章の坂本氏によれば、若年女性の人口が5割以上減少した地区の比率は、平成の合併を行わなかった町村に対して合併を行った町村では3倍にのぼったとい う。近隣の大きな市に「吸収合併」された地域では、それまで身近にあった役場が市の中心部に統合されて行政が疎遠になり自治意識が薄れていく。小中学校が 統合された地域では、地域の一体感がなくなり、また子育て世代が集落に帰ってくる理由がなくなる。議員定数も実質的に減り、しかも議会全体の中では少数 派となって意見も反映されにくくなる。一見効率的で響きのよい「選択と集中」では、地域は守れないのである。
【少子化、人口流出を止めるには】
社会全体の少子化、周辺部からの人口流出をくい止めるための方策は、机上の数値操作や数値目標で目新しさを装うことではなく、これまでに指摘されてきた 問題ときちんと向き合うことである。
まず、子育てのための社会的な条件を整備することである。非正規雇用の低賃金労働の拡大によって、若い世代の子育て環境は大きく損なわれている。低い年 収と非正規雇用が結婚や出産を阻んでいる実態は、様々な統計結果にはっきりと現れている。賃金格差をなくし雇用を安定させて、若年労働者を使い捨てていく 社会や企業の在り方を改めていく必要がある。
さらに正社員労働者であっても、長時間労働が出産や子育ての大きな障害になる。ワークシェアリングを進めていくことは、先に挙げた格差社会の是正にもつ ながる。半ば強制的な残業や本人同意のない転勤など日本独特の労働習慣を改善していくことも必須である。それと並行して、家事育児の負担が女性に集中する 社会の在り方を改めていく必要もある。賃金や雇用のあり方も含めて、各企業や労働環境の社会的な規制に踏み込まない限り少子化は止まらないだろう。
また周辺部の過疎化を防ぐためには、地域産業や農業を維持していくことが重要である。グローバル経済の下での効率化競争にのめりこむのではなく、地域で 雇用を確保し、資金や資源を地域で循環させ、非貨幣的な経済や労働や交換とも結び付いた「持続的な社会」を構想する必要がある。
【集落を営むということ】
政権には、今のところ、地方再生のための特段のアイディアがあるわけではない。打ち出される政策はおそらく官僚主導になり、票を目当てにした旧来の公共事業のばら撒きと、景気刺激策としての規制緩和特区の乱発以外には何も期待できないだろう。
だが増田レポートのような「選択と集中」という方針が先行すれば、地域の自治意識のような要素は完全に抜け落ちてしまい、地方の解体はますます早まるばかりだろう。周辺に実は支えられている中心部の疲弊もまた進んでいく。
地域共同体や自治体は、目には見えなくても、大事する何か、守りたい何かを長い期間にわたって積み重ねながら維持されている。数値的な効率化を優先してそれらの財産を手放してしまったら、「地方」を維持することはさらに困難なものとなるだろう。